1.はじめに
2.神坂峠ルートの概要
3.神坂峠ルートへのアプローチ
4.神坂峠ルートの注意点
2009年5月4日、神坂峠ルートを下山中の男性が道迷い遭難し、4日後の5月8日に遺体で発見されました。この時期に登山される方は、残雪期のページをご覧ください。
神坂峠は神話や万葉の時代から東西交通の要所で、さまざまな文献にその名を残しています。ウエストンも恵那山登山後にこの峠を越えて伊那谷へ向かっています。こんな話を高校時代の古典の授業で習った方も多いでしょう。今昔物語の中のお話です。
むかし藤原陳忠(のぶただ)という欲の深い信濃の国司が居ました。彼は家来とともにこの神坂峠を超えていましたが、険しい峠なので谷へ転落してしまいました。家来が心配していると「籠をおろせ!」と谷底から陳忠が叫ぶ声がするので籠を降ろすと、陳忠ではなく「キノコ」がいっぱい乗って上がってきました。再び「籠をおろせ!」の声がするので家来がおろすと、キノコを両手いっぱいに持った陳忠が上がってきました。何もこんなときにキノコなど採らずとも、と家来があきれていると、陳忠は「受領は倒れるところ土をも掴め」とたしなめた。
というお話です。
また、「チハヤブル カミノミサカニヌサマツリ イワウイノチハ オモチチノタメ」 と防人が読んだのもこの神坂峠です。
神坂峠は富士見台へのハイキングコースの一部としても親しまれていました。一方恵那山の登山ルートとしての神坂峠は、どちらかというと恵那山から富士見台へ縦走してくる、いわば下山路的な位置づけにあったようです。かなり乱暴な言い方をすれば、恵那山の表玄関は黒井沢、神坂峠は少し地味で静かな裏口であったように思います。その理由は深田久弥が同コースを世に紹介してしまった功績(功罪?)も考えられますが、それ以上にアプローチ林道の事情があったと推測されます。つまり数年前までは、神坂峠へ至る林道は恵那山周辺でもっとも荒れていて、強清水以奥は四輪駆動車やラリー愛好家のみの領域だったためでしょう。車高の低い乗用車の場合は、強清水付近に車を停めて歩き始める必要がありました。強清水から神坂峠までは1.5時間ほどかかるので、恵那山へのアプローチとしては不利だったのだと思います。しかし林道がほぼ完全に舗装されて高級乗用車(?)でも楽に神坂峠まで走れるようになったことで、恵那山で最も安定したアプローチを持つルートとして知られるようになりました(注、阿智村側の林道はやや険しく、しばしば通行止めになります)。 加えて、岐阜県側の麓に中津川市営の湯船沢温泉が開業したこと、山岳雑誌(ヤマケイ94年10月号付録、ヤマケイ98年5月号付録、ヤマケイ99年4月号本文など)に本コースが紹介されたこと、園原インターが開業して長野県阿智村側からのアプローチが近くなったこと、さらにヘブンス園原という通年型リゾートが開発されたことなどから、春から秋にかけてのシーズン中はたいそう賑わいを見せています。
このコースの長所は、登山道が尾根通しのため天気さえ良ければ御岳、南北中央アルプス、白山、富士山などの景色が楽しめることでしょう。また他のルートに比べて花が多く見られることも魅力の一つです。特にドウダン街道と名づけたくなるほど群生する中津川市の花は見事です。他に石楠花やイワカガミ、マイズスソウ、バイカオウレンなどが賑やかです。逆に欠点としては、水場と避難小屋が頂上まで無いこと、アップダウンが激しいので結構体力がいること、などがあげられますので、足のそろったパーティ向きです。初心者が多いグループや低学年の子供がいる場合は十分研究の上で入山して下さい。尚、神坂峠ルート上でこれまで危険箇所であった「天狗ナギ」には、中津川の方々の努力により安全な迂回路が設けられました。現在は比較的安全に歩くことができますが、一部ナギの淵を歩く箇所も残っていますので、バランスを崩しやすい小さい子供や疲労が激しい方がパーティに居る場合は十分に注意して通過する必要が有ります。永井豪著の恵那山と生きる(1991年 岐阜新聞社発行)によれば、神坂峠ルートの登山道を開いたのは神坂峠で富士見台登山客相手の茶屋を営んでいた園原の熊谷吉次朗という人。昭和22・23年頃のことだったということです。
1ピッチ目、大判山まで
神坂峠や阿智村側の登山口から歩く場合は、第一ピークという標高約1700mのピークにもれなく立ちます。目指す恵那山がど〜んと大迫力で迫ってくることでしょう。雄大な恵那山の全景を眺めてから歩き出せるのは、この神坂峠ルートが唯一です。もっともこの景色は天気しだいですが。ここから鳥越峠まで150mも下らなければなりません。もったいない下りは先ほどの景色の代償です。当然ながらこの下りは帰路に辛い登り道となってあなたに試練を与えてくれます。下りきった鳥越峠で追分からの登山道と合流します。「最初から追分から登ればよかった・・・」と思いがちですが、第一ピークの展望と引き換えになりますので、天気や体調などと相談するのが良いでしょう。追分から登る場合は大檜駐車場を利用します。尚、追分の最初のルンゼ部分は上部からの落石に注意が必要です。鳥越峠からは恵那山を見ながら水平に進みます。この水平道は昔木の切り出しに使われた馬橇道だったそうです。この写真の中央にザリガニの様な形の崩壊地が見えます。左のハサミの上が恵那山の三角点、右のハサミの上が山頂避難小屋になります。水平道が尽き稜線に戻ると姥ナギという崩壊地です。小さなアップダウンはありますが景色や枯れ木のオブジェを楽しみながら進みましょう。初夏に石楠花が散見されるところを越せば大判山に到着。藪で隠されていますが、阿智村へ下るルートもあります。
2ピッチ目、天狗の頭まで
大判山では広角レンズでないと全景が入らぬほど恵那山が近づきます。しかしここからまた下ります。次に目指すのは天狗ナギの途中にある天狗の頭という場所。この写真の双耳峰の左(奥側)のピークがそれです。双耳峰の右(手前)のピークは、石楠花の群生する1820m標高点です。明るい尾根を辿って森へ入ると1820m標高点のピーク。少し狭いので大人数の休憩には不向きです。ここで再び崩壊地の淵にでます。天狗ナギです。迂回路ができましたので以前よりは安全に通過できますが、慎重に辿りましょう。再び昇りかえして明るい展望の効くピークが天狗の頭です。晴れた日に富士山の見えはじめるポイントです。ここは比較的場所が広いので、人数の多いパーティの休憩ポイントとしてもおススメです。
3ピッチ目、原生林を越えて前宮分岐、そして山頂へ
ナギから離れて道は森へ入っていきます。富士見台 というクラッシックな看板は、富士見台の方向を大雑把に指しているものです。足元の笹が徐々に薄くなり、やがて消えます。辺りはコケ生した原生林となります。林床にはコミヤマカタバミやバイカオウレンなどの小さな花が見られます。前宮分岐の直下は石や岩がごろごろした歩きにくい急坂になりますが、20分も我慢すれば傾斜は尽きて恵那山頂上稜線の一角である前宮分岐にたどり着きます。ここで一息入れても良いですし、元気なパーティはそのまま山頂を目指しましょう。前宮分岐を一部のガイドブックでは「一宮」と記述していますが、これは間違いです。一宮(神社)はこの分岐から前宮ルートを150〜200mくらい進んだ場所にあります。一宮は2005年9月に新築されましたので、興味のある方は前宮ルートを辿ってみるのも良いでしょう。さて分岐からは緩やかに頂上稜線を辿ります。泥濘が多くありますが、周辺を踏み荒らさないように歩きましょう。登山道に多少のアップダウンはありますが、もう苦にならないでしょう。2007年11月のセスナ機墜落事故現場で手を合わせたら、ほどなく恵那山最高点(2191m)の神明社です。振り返れば伊吹山から奥美濃、白山、御岳、乗鞍、北アルプス、中央アルプスまでがぐるっと見渡せるでしょう。神明社から小屋はすぐです。トイレの左を進めば三角点と広河原方面。トイレの右は黒井沢へ下る道になります。案内図はトイレの壁に貼られています。
| アプローチ地図 | 長野県側のアプローチ: 車両通行不可能。林道途中にゲートがあり、施錠されています。 岐阜県側のアプローチ: 国道19号から神坂峠へのアプローチ(マピオン地図) |
| コンビニや商店 | 国道19号線沿いに多数有るが、落合沖田で曲がると無い。阿智村園原インター付近も無い。 |
| 登山計画書提出ポスト | 強清水(こわしみず)、大檜駐車場入口、萬岳荘 |
| 登山口の分り易さ | 現在神坂峠ルートの登山口は次の4箇所が利用できる。
神坂峠は登山道入口の看板が有るので大丈夫。 |
| 水場の有無 | 登山口、登山道上には一切無い。強清水の湧き水は生では飲めないらしい。 |
| トイレの有無 | 岐阜県側林道沿いに数カ所ある。欅平キャンプ場入口、強清水。あとは萬岳荘 |
| 駐車場の有無 | 大檜駐車場は数十台可(マイクロバスも可能)。神坂峠は乗用車なら十数台可能。ハイシーズンは、到着が遅いと無いことも有り得る。 |
| 林道の情報 | 岐阜県側:中津川市役所 長野県側:阿智村役場 |
アップダウンが多くて結構疲れる。夏は多めに水を用意しよう。一人2リットルくらい持っていると安心。途中の大判山で時刻が11時を廻っていたら日帰りでの登頂は無理、潔く引返すこと。鳥越峠から南側へ向う登山道が一本有りますが、これはヘブンス山頂駅方面へ向かう道です。等高線伝いに水平に進みますのでかなり遠回りになります。
2009年5月4日、神坂峠ルートを下山中の男性が道迷い遭難し、4日後の5月8日に遺体で発見されました。この時期に登山される方は、残雪期のページをご覧ください。
2004年2月15日 HTMLを書き直しました。(表がいまひとつですが・・・)
2004年10月24日 カウンターを設置しました。
2008年3月22日 一部加筆修正しました。
2009年5月9日 遭難の件を加筆しました。
2009年5月22日 地図のリンクを修正しました。