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@恵那山 >> コラムの目次 >> 2002年6月12日号

深田久弥らが辿った初期の黒井沢ルートとは

タイトルをお読みになって「あれっ、深田久弥が辿ったのは現在の黒井沢ルートじゃないの?」と思われる方も多いでしょう。百名山ガイドブックにはこの辺りの説明は有りません。有名山岳出版社の百名山ガイドでさえ、深田久弥が前の宮ルートを登ったという大間違いをしている現状では、仕方がないことかもしれません。 かく言う私も永井豪著、恵那山と生きる(岐阜新聞社発行)を読むまでは、現在のルート以外にも黒井沢ルートが有ったとは知りませんでした。

初期の黒井沢ルート その本によれば、昭和35年4月21日に深田久弥一行が登ったのは図の黄色い線で示した登山道であったと推測されます。すなわち、前半は1992m標高点から黒井沢休憩所あたりへ延びる尾根を辿ったのであり、野熊の池を経由する現在のルートは通っておりません。
1992m標高点の先の夏道/冬道分岐(※)からは県境伝いに山頂へ向かいました。現在の広河原ルートの上部とラインが一致します。
野熊谷と野熊の池を経由して1992mピークへ出るように道が付け替えられたのは、昭和37年夏頃。そして、最終的に山頂直下の水場を経由して山頂避難小屋の前へ出る現在のルートになったのは、昭和40年頃だったそうです。
※当時はまだ夏道は有りませんでしたので、分岐ではありませんでした。

これをお読みになれば、深田久弥のオリジナルルートを現在トレースすることは、一般の登山者では不可能になっていることが判るでしょう。そして恵那山=黒井沢という短絡的な図式は、全く無意味なものであることも理解できるのではないでしょうか。
この地図は、国土地理院の数値地図25000(地図画像)飯田を使用して出力しました。

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