道標への落書き
世の中には色々な人がいるものだが、山へ来る人たちも例外ではないようだ。山中に設置された道標に勝手にコースタイムや標高を書き込む人がいれば、それをまた訂正して書き込む人がいる。シンプルな道標はやがて落書きだらけの判りにくいものになっていくのである。初心者に人気の広河原ルートでこうした道標への落書き行為が目立つ。場合によっては初心者に間違った情報を与えかねないこの状況は、もはや見過ごすことは出来ないと思う。
恵那山の最短ルートとして初心者に人気の広河原ルート。最初のピッチは標高差500mのきつい急登だ。標高が1500mを越えると幾分傾斜が緩むが、目指す稜線はまだ少し遠い。高度計が1700mに近くなるとようやく広河原の広い尾根の一角に達する。登山口から早い人で1時間、ゆっくり登っても1時間半くらいだろうか、そこはちょっとした広場になっており一休みにはもってこいの場所である。この場所、特に名前が無いようだ。「恵那山」と毛筆で書かれたシンプルな看板(道標)が一本たっているだけなので、私は「看板ピーク」と勝手に呼んでいる。ルート上の特徴的なポイントであり、いずれはしかるべき名称が付けられるのを期待したい。この看板は本来 恵那山の方向を白木の板で示す素朴で粋なもの(画像提供:阿智村矢澤さん) だった。看板それ自体が矢印になっていて、「恵那山はこっちの方角だよ」と示していたのだ。ところがその後「H.1716」という表示がマジックで書き込まれた。更にそれを訂正して「まだです」などという書き込み、さらに「頂上まで100分」という所要時間表示まで加わってしまった。いずれも誰も望まない迷惑な落書きである。
まず H.1716 の件から片付けたい。結論から言うと、この1716という落書きはまったくの間違いである。地図にある1716m標高点とこの看板ピークは同一ではない。看板ピークのGPSデータを地図に落として表示させたのがこの図だ。看板ピークを赤いピンで表している。実際の1716m標高点は2〜300mも先にあることが判る。特にビギナーの多い広河原ルートではこの落書きによって間違った情報が提供されてしまう可能性がある。いくら登山は自己責任と言っても、公の道標に虚偽の情報を書き入れて多くの登山者に見せしめる行為は犯罪といえないだろうか。
一方、所要時間の落書きはどうだろう。一見はじめて訪れる人には親切に見えるかもしれない。しかし山の所要時間ほどあてにならないものは無い。それは登り手によって、また季節や気象条件によって大きく異なるからである。他人によるこうした情報を鵜呑みにするのではなく、山頂までの距離と標高差、傾斜などから自分なりに所要時間を割り出せるように各自が工夫するべきなのだ。
この地図は、国土地理院の数値地図25000飯田を元に出力しました。
岐阜県との県境に設置された道標にも落書きがあった。この写真をClickすると判るように、「あと25分〜30分」という所要時間の記述が書き加えられたのだ。上述の看板ピークほど深刻な間違いは無いのかもしれないが、何故こんな落書きをする人がいるのだろう。
ここで落書き犯の心理を考えて見たい。先の看板ピークもそうであったが、いずれの場所も「恵那山」と書かれた板に落書きをしている。落書き犯はこの恵那山と書かれた場所に到着すると、「え〜、ここってまだ恵那山の山頂じゃないよね〜。この看板変だよね〜。ここはあと25分〜30分と書くべきだよね〜。」って勝手に解釈している様に思える。山を山頂でしか捕らえられない百名山ハンター特有の症状だ。恵那山と書かれた看板の形状を良く観察して欲しい。いずれの板も「こっちが恵那山だよ」と恵那山の方角を大雑把に指しているだけなのだ。それを理解しない落書き犯の方が実に変なのである。
話は少し飛ぶが、神坂峠ルートの後半では 富士見台と書かれたクラッシックな道標 を見ることが出来る。かつてこの登山道が「恵那山富士見台縦走路」と呼ばれた頃の名残で、この道標は富士見台の方角を大雑把に指しているのである。ところが多くの人のレポートを読むと、「ここは富士見台じゃないよね〜」とか、「ここは富士山が見えるビューポイントなのかな?」とか結構トンチンカンな解釈をされている。つまり想像力と言うか、把握力というか、そういう状況判断能力が足りないのではないか?と思うのだ。ただ無知であると言えばその通りだが、それ以前の問題の様な気がしてならない。広河原ルートの落書きも、こうした状況判断の出来ない百名山ハイカーの仕業だと思わざるを得ない。
実際の1716m標高点の場所はたいへん興味深い。国土地理院の地形図を拡大して見ると、この標高点は窪地の中にあることが判る。前述の「看板ピーク」から尾根を進むとすぐに南アルプス方面の展望が開ける場所に出る。岳樺越しの本峰も望める場所である。そこは二重稜線の様な地形で、岳樺林は窪地になっていて特徴的である。どうやらこの窪地付近に1716mはありそうだ。雪が消えると沼か池でも出現しそうな場所で、小屋か茶店でも建てたら繁盛しそうだ。
この地図は、国土地理院の数値地図25000飯田を元に出力しました。
1716での妄想
2005年2月13日、日帰りで頂上を往復した私はこの1716m標高点付近である妄想に捉われた。(注、あくまでも妄想です)本谷を一本隔てた対岸はヘブンス園原のスキー場だ。食堂などのあるセンターハウスとの直線距離は2キロもない。谷を越えて「恵那山ロープーウェイ」を架けたら、林道や本谷川の渡渉というアプローチの悪さに煩わされること無く四季を通じて恵那登山が可能になるのではないか。登山者を取り込むことで、ヘブンス自体の稼働率も飛躍的に向上するはずだ。ただでさえ短い所要時間がさらに短縮され、「90分で登られる百名山」として一気にクローズアップされるに違いない。何より私自身、年を取ってからも雪の恵那山に登りやすくなる(笑)。しかしその代償も小さくはない。ゴミや屎尿による環境の悪化、モラルのより低い層まで取り込むことによる山の荒廃は免れまい。さらに「どうしてこんなところで?」という遭難事故も多発するだろう。恵那山という財産を伝承する方策の一つかも知れないが、出来れば私の妄想で終わって欲しい。
2005年2月20日 初版発行
2005年7月10日 若干加筆訂正